誰かの真似をすることに罪悪感を感じる人は成長の可能性大だから、安心してパクれ

パクること、真似ることに罪悪感を持っている人は多くいるでしょう。
音楽や芸術の世界でも誰かの作品をパクったなどと知れたら日本中がその本人を叩く姿からも国民柄そういうものなのかも知れないが、今回はそんなパクることについて自分なりの考えを述べたいと思う。

真似ること、パクることで生まれる罪悪感は素晴らしいもの

パクることに罪悪感を感じる必要はないという記事を書こうと思い、同じような記事があるのかグーグルで検索してみると、「中国人はぱくることに罪悪感は~」みたいな記事を見かけた。
中身は見ていないが何が書いてあるかは想像に容易いだろう笑

中国人はさておき、私はパクる、真似ることはどんな分野でも成功への近道だと思う。だからお手本を真似て、そこからいずれはオリジナリティを生み出していけばそれでいいじゃないかと考えるが、それは悪いことだと考える人間も中にはいる。パクることは悪だという考えが一般的なのかもしれない。

でも、例えば皆さんが日本語で日常生活ができるのも、大人の話している姿などを見よう見まねで真似たからですよね、学校では先生、部活では先輩、社会では上司を真似て生活しているじゃないですか。人間生きていたら多くのものから刺激を受けて、当たり前のようにパクっているんですけど、なんで悪いものだって考えてしまうんですかね?

それは、パクると言っても限度があるからなんです。
普通の感覚があればその限度は超えないはずです。

もし知り合いが自分と全く同じコーディネートだったら嫌になりますよね。真似たほうも、あなたからアイデアを貰って、そっくりそのまま真似させてもらいましたってのが伝わってしまうのは避けたいですよね。できるなら参考程度にして、違うブランドの似たものを購入するとかすると思います。書いていて思いましたが、だから私はマネキン買いが嫌いなのかもしれませんね。100%パクることはダサい、オリジナリティがないと内心で拒絶反応が出ているんでしょうきっと笑

この世に完全オリジナリティなものなんてそもそも存在しないですよね。
私のこの知識もマークレヴィンの本に書いてあった内容から、自分なりに知識を落とし込んで書いていますからね。

普通の感覚があれば、100%まったく同じでコピーするのは罪悪感がどうしたって生まれてしまうものです。そもそも、人生経験が違うから100%を目指したところで頑張っても95%くらいまでしか真似ることはできないのではないでしょうか?(服で言えば、身長や体重が違うから同じにはなれない) だから安心してパクっていいんですよ。

自分の中の罪悪感が良いストッパーになるのだらか、思いっきりパクっていきましょう。
そこから、罪悪感から逃げるように、元のものからはかけ離れた良いものが生まれるでしょう

中国人についてはよく分かりません、国民性の違いでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です